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札幌地方裁判所 昭和56年(行ウ)7号 判決

原告 菅野キヨ

第七号事件被告 滝川労働基準監督署長

第四号事件被告 国

訴訟代理人 小川賢一 和田寛治 外二名

主文

一  原告の被告滝川労働基準監督署長に対する請求を棄却する。

二  原告の被告国に対する訴えを却下する。

三  訴訟費用は、両事件とも原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(昭和五六年【行ウ】第七号事件)

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五四年八月一日付で訴外亡菅野勇に対してした労働者災害補償保険法に基づく傷病補償給付金を年額三四九万九〇三九円に変更する旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文第一、三項と同旨

(昭和五七年【行ウ】第四号事件)

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、二〇万一〇九五円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(本案前の答弁)

主文第二、三項と同旨

(本案に対する答弁)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

(昭和五六年【行ウ】第七号事件)

一  請求原因

1  訴外亡菅野勇(以下「亡勇」という。)は、住友石炭鉱業株式会社赤平鉱業所において坑内係員として働き、粉じん作業に従事していたが、右粉じん作業の結果じん肺に罹患し、昭和三四年一一月九日以降労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による療養補償費及び休業補償費の給付を受けていた。亡勇に対する右補償費の給付は、昭和三七年一一月九日をもって長期傷病者補償給付に、次いで、昭和四二年二月一日をもって長期傷病補償給付にそれぞれ移行し、さらに亡勇は、昭和五二年四月一日以降、昭和五一年法律第三二号による改正後の労災保険法の規定による傷病補償年金(以下単に「傷病補償年金」という。)の給付を受けていたものである。

2  (一) 亡勇は、右のとおり傷病補償年金の給付を受けていたところ、右年金給付額は、昭和五四年に至って、「傷病補償年金の額の改定に用いるべき率(スライド率)」に関する昭和五四年労働省告示第六九号に基づいてその額をスライドすることとなった。

(二) 被告は、亡勇に対し、昭和五四年八月一日、右スライド後の傷病補償年金を年額三四九万九〇三九円に変更する旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。

亡勇の右スライド後の傷病補償年金額は、本来であれば年額四二一万二〇三九円になるべきものである。しかるに被告は、亡勇が同時に厚生年金保険法の規定による障害年金(以下単に「障害年金」という。)として年額七一万三〇〇〇円の支給を受けていることを理由として、右四二一万二〇三九円から障害年金の年額七一万三〇〇〇円を減じた三四九万九〇三九円を、亡勇に対して支給する傷病補償年金額と決定したものである。

(三) 亡勇は、本件処分を不服として、北海道労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、右審査官は、昭和五五年二月二二日、右審査請求を棄却する旨の決定をした。

(四) 亡勇は、さらに労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、同審査会は、右再審査請求を棄却する旨の裁決をした。亡勇の手続上の地位を承継した原告は、同月三一日、右裁決書を受領した。

3  本件処分の違憲性

(一) 昭和五一年法律第三二号による労災保険法改正前の年金併給調整

(1) 業務上の疾病と認定され、昭和五一年法律第三二号による改正前の労災保険法の規定による長期傷病補償給付を受けている者が、同時に障害年金の給付をも受けている場合、国は、同一事由による年金の重複支給であるとの理由から併給に際して調整を行い、長期傷病補償の給付金額から障害年金の五〇パーセント相当額を控除した残額を支給していた(同法一八条一項、同法別表第一第一号)。

(2) 国によるこうした従前の併給調整は、形式的には、労災保険法による保険金の一部不支給という形をとりながら、実質的には、障害年金の半額不支給を意味するものであって、それは、第一に、年金受給者の生存権を直接侵害するだけでなく、第二に、年金受給者間に著しい差別的支給を導入することをも意味し、さらに、第三に、年金の財源が受給者の直接的又は間接的負担により支えられている事実にかんがみれば、保険料負担者が国に対して有する年金請求権を直接的に制約する行為であった。すなわち、当該年金併給調整は、生活保護法等の国による一方的給付の場合とは根本的に異なって、国の裁量の範囲が著しく制約されており、憲法二五条、一四条、二九条に反するおそれが強く、併給調整の限度を障害年金の五〇パーセントまでに限定することによって、かろうじてその合法性を担保しえていたにすぎなかったものである。

(二) 労災保険法の改正と新たな年金併給調整

(1) 国は、労災保険法の一部を改正する法律(昭和五一年法律第三二号)及び同法施行令(昭和五二年三月二三日政令第三三号)により、前記年金間の併給調整の方法を根本的に変更した(以下「本件改正」という。)。すなわち、同法別表第一第一号、同法施行令二条による新たな併給調整では、それまでの長期傷病補償給付に代わって新設された傷病補償年金の額から、一律にその二四パーセントが控除されることとなった。

右の結果、両年金について受給資格を有している者の受給総額が、厚生年金の保険料を支払ってこなかったことにより傷病補償年金のみの給付を受ける者の受給額よりもかえって低額となる場合が生じることとなった。たとえば、傷病補償年金二〇〇万円と障害年金四〇万円とを併給される場合、調整後の傷病補償年金受給額は一五二万円となり、障害年金受給額の四〇万円を加えても一九二万円にしかならず、傷病補償年金のみの受給者が給付を受ける二〇〇万円よりも低額になるのである(もっとも、このような場合には、右の不合理を避けるため、一律二四パーセントの控除という方法を採らず、同法施行令三条一項により、傷病補償年金から障害年金の全額を控除した額を傷病補償年金の額とするものとされている。)。

(2) このように、同法別表第一第一号、同法施行令二条、三条一項(以下、これらを併せて「本件各規定」という。)による新たな併給調整では、本件改正前設定されていた障害年金の五〇パーセントという調整の限度を取り外し、その結果として、障害年金の全額を支給しないこともできることとされ、実質的には障害年金の受給権を完全に否定するものとなった。すなわち、新たな併給調整は、右の例においては、もはや調整の問題ではなく、障害年金の一方的な不支給の問題に転化したのである。

(3) そして、亡勇の場合は右の例に該当して、併給調整後の両年金の受給総額が本来の傷病補償年金の額に等しいものにしかならず、亡勇は、本件処分により、障害年金につき全額不支給となる結果を強いられたものである。

(三) 併給調整の不当性

労災保険法による給付と厚生年金保険法による給付との併給調整は本来許されない。右両制度は、第一に、基本的には労働者の負担により、第二に別々の独立した趣旨のもとに発足した制度であり、第三に労働者としての固有の権利を公的制度で担保したにすぎないものであるから、給付原因がたまたま重なるからといって、国家の行政上の裁量によって自由に併給調整をすることができるものとはいえないからである。

とりわけ、労災保険については、国家による保険給付はあくまでも労働者の使用者に対する労働基準法上の補償請求権の実効性の担保であるにすぎず、労働者は、本来厚生年金の受給権とは無関係に、何らの制約なしに使用者に対してその請求権を行使できるはずのものである。厚生年金をたまたま受給していたからといって、労働者の使用者に対する補償請求権は何らの制約をも受ける筋合のものではなく、したがって、それを担保すべき労災保険の受給権に制限が課せられるのは不当であるといわなければならない。

この観点からすれば、本件改正前における併給調整も不当、不法なものであったというべきであるが、本件改正後の併給調整は、その支給制限をいっそう強め、結果的に障害年金の全額不支給という事態をも生じさせるもので、とうてい容認されうるものではない。

(四) 憲法二九条違反

憲法二九条一項は、国民の財産権の不可侵を定め、同条二項は、その財産権は公共の福祉に適合する場合でなければ制限できないと定めている。

ところで、一定の事業主は強制的に労災保険に加入しなければならず、その必然的な結果として、労働者も保険料の間接的負担を強制的に求められる。

他方、厚生年金保険法によれば、一定の事業所に使用される者は厚生年金保険の被保険者の資格を取得し、それに伴って、一定の保険料の支払義務を負う。

これらの意味において、被保険者はその財産権を制限されることになるが、右保険料支払義務を負うことによる財産権の制限は、労災保険法及び厚生年金保険法の定める各種年金の支払源資を確保し、ひいては各種年金の給付という手段で保険加入者に還元されることにより、かえって国民の生存権を保障することとなり、その結果公共の福祉に適合することになるため、憲法二九条に違反しないこととなる。

しかるに、亡勇の場合、長年にわたり保険料の支払義務を履行したにもかかわらず、労災保険については傷病補償年金を不当に減額され、厚生年金については現実の問題として保険料支払の反対給付として当然還元の対象となるべき障害年金の給付を全く受けることができないという結果を強要されたもので、このような結果は、不当な財産権の侵害に当たるものというべきである。

とくに、障害年金の受給権についてみると、これが、厚生年金保険法所定の要件を具備することによって国から一定の金銭的給付を受けるという経済的利益を有する権利であるとの意味において、憲法二九条一項により保障される財産権に当たることは明らかであるところ、次の諸点に照らすと、その私的財産権としての性格は、社会保障制度における各種の公的給付の中でもより強固なものであるというべきである。すなわち、

(1) 厚生年金保険法は、一定の事業場で働く労働者をすべて被保険者としてその保険加入を強制し、被保険者に対して保険料の支払という経済的負担を強制的に課したうえ、その出捐に対する対価として、保険事故の発生による年金受給権を付与するという法的構造を採っていて、年金受給権に受給権者の拠出に対する反対給付としての性格をもたせている。

(2) 厚生年金保険法は、法定の保険事故発生の場合における受給権の存否、内容に関して、行政官庁による資産及び収入等の調査(ミーンズ・テスト)を必要とせず、行政官庁の裁量を排除して、一律的、画一的な受給権の発生を定め、その内容を簡明なものにしている。

(3) わが国の厚生年金財政は、拠出制積立方式を採用し、その財源を被保険者及び適用事業主からの拠出金の積立てによることを基本としており、全体として、各種給付が極めて強い対価的性格を帯びたものとなっている。

このように私的財産権性を強く有する障害年金につき、本件各規定は、実質的にその全額不支給という財産権の剥奪を定めるものであるところ、そのような制約を合理化すべき根拠は見出しえず、また、右剥奪に対する何らの代償措置も講じられていない。

よって、本件各規定及びこれに基づいてされた本件処分は憲法二九条に違反する。

(五) 憲法二五条違反

厚生年金保険法は、憲法二五条二項に基づく社会的立法であり、厚生年金保険法によって所定の者に与えられる障害年金の受給権は、同法により具体化された憲法二五条一項の生存権の実質的内容をなす具体的生存権である。そして、厚生年金保険法の関係条項によれば、同法の支給要件を充足した者は当然に障害年金の受給権を取得したものということができる。

これに対し、本件各規定は、具体的に発生した障害年金の受給権の内容となる給付額を「調整」の名目で減額し、また、受給権者のうち一定の者については障害年金の全額不支給という法的効果をも生じさせうるものであるから、一旦法的に発生した受給権を制限ないし剥奪する規定である。

ところで、憲法二五条に基づく実定法によって一旦形成された権利ないし利益は、原則としてこれを制限ないし剥奪することが許されず、これを制限ないし剥奪する規定が憲法に違反しないというためには、当該制限ないし剥奪を必要とする合理的理由が明らかにされなければならないと解すべきである。とくに、本件のように、傷病補償年金と障害年金のいずれもが被保険者本人の拠出に基づくもので、右拠出に対する反対給付として強い権利性をもつ受給権の制限にあたっては、より厳格な合理性を要するものというべきである。しかるに、併給調整を定めた本件各規定については、何らの合理性をも見出すことができない。

よって、本件各規定及びこれに基づいてされた本件処分は憲法二五条に違反する。

(六) 憲法一四条違反

本件処分は、同じく障害年金を受給しうる地位にある労働者間において、実質的にこれを受給しうる者と受給しえない者との区別を生み出し、前者に比べて後者を不当に差別するものである。そして、この差別を合理化するだけの理由は存在しない。よって、本件各規定及びこれに基づいてされた本件処分は憲法一四条に違反する。

なお、この点に関し、労災保険法は、障害年金についてはその全額を支給し、傷病補償年金の額を調整するという手段を講じることによって、あたかも、両年金の併給を受けているかのような形式を整えているが、実質的に障害年金の全額不支給の結果を招いていることは既に述べたとおりである。

(七) 以上のとおり、本件処分は違憲、違法であって、取消を免れない。

4  亡勇は昭和五五年五月一七日死亡した。原告は、亡勇の妻であって、亡勇の有していた本件処分の取消を求める地位を相続により取得した。

5  よって、原告は、請求の趣旨のとおりの判決を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  (一) 請求原因2(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は認める。

なお、亡勇に対する傷病補償年金額を三四九万九〇三九円と決定した過程は次のとおりである。

亡勇のスライド後の傷病補償年金額は、年額四二一万二〇三九円となるのであるが、亡勇は障害年金年額七一万三〇〇〇円の支給を受けているため、労災保険法施行令二条によって傷病補償年金額が右年額の七六パーセントに調整される結果、その額は三二〇万一一四九円となる。しかし、これに障害年金額七一万三〇〇〇円を加えても、合計三九一万四一四九円となって、調整前の金額を下回るため、労災保険法別表第一第一号、同法施行令三条一項により、傷病補償年金額を三四九万九〇三九円と決定した。

(三) 同(三)の事実は認める。

(四) 同(四)の事実は認める。

3  (一) 請求原因3(一)のうち、(1)の事実は認め、(2)は争う。

(二) 同(二)のうち、(1)の事実は認め、(2)、(3)は争う。

(三) 同(三)は争う。

(四) 同(四)は争う。

傷病補償年金の受給権は、労災保険法によって国民に与えられるものであり、その受給権の内容は、同法の規定のしかた如何にかかるものである。そして、同法は、障害年金との併給を生じる場合には、本件各規定により一定の調整をした後の金額を内容とする受給権を与えているのである。したがって、併給調整はいったん国民に付与された年金受給権を制約するものではない。

また、憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講じるかの選択決定は立法府の広い裁量に委ねられているのであって、立法府としては、必要な場合に保険金の減額をすることも裁量権の範囲として許されるものというべきであり、このことは、拠出制の保険の場合でも変わるところがない。

原告は、障害年金の受給権が受給権者の拠出に対する対価としての性格を有すること、ミーンズ・テストが排除されていることを理由として、障害年金の私的財産権性が強められている旨主張するけれども、拠出制の保険における保険金を被保険者の経済的出捐に対する対価とみることはできないし、ミーンズ・テストの排除も保険受給権を私的財産権として保障しようとする趣旨に出たものではないから、原告の右主張は理由がない。

さらに、本件各規定は、障害年金の全額不支給を規定しているものでも、そのような効果をもつものでもなく、亡勇は障害年金七一万三〇〇〇円の支給を現実に受けている。

よって、原告の憲法二九条違反の主張は失当である。

(五) 同(五)は争う。

憲法二五条一項の規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したいわゆるプログラム規定にとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を付与したものではないと解するのが相当である。また、同条二項の規定も、同条一項の責務のほかに、国として広く社会保障施策を拡充、強化し、国民の生活水準の確保及び向上に努めるべき責務があることを宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を付与したものではない。そして、右各項の関係については、同条二項は、健康で文化的な最低限度の生活水準に達している状態にある者についてその生活水準を維持、向上させるべき国の責務を定め、同条一項は最低限度の生活水準に達していない状態にある者に対しその生活水準に達するまでの生活保障をすべき国の責務を定めたものであると解するのが相当である。

ところで、障害年金は、国民が貧困化するような原因となる事故にあった場合に、これを保護してその者が貧困に陥ることを防止しようとするもので、憲法二五条二項の理念に基づいて創設されたものである。したがって、障害年金の受給権が憲法二五条一項の生存権の実質的内容をなすものであるとする原告の主張は失当である。

仮に、憲法二五条一項と同条二項とを一体として解釈すべきであるとしても、同条の趣旨にこたえて具体的にいかなる立法措置を講じるかの選択決定は立法府の広い裁量に委ねられており、それが著しく合理性を欠き、明らかに裁量の逸脱、濫用とみざるをえないような場合を除いては、司法審査の対象とはならないものと解するのが相当であるところ、労災保険法の昭和四〇年における改正で、同法による給付も、大幅に年金化されて所得保障的機能を有するようになった結果、障害年金とその給付の目的を共通にすることになったこと、傷病補償年金と障害年金とは同一の事由により併給されるものであり、加えて、一般に社会保障法制上、同一人に同一の性格を有する二以上の公的年金が支給されることとなるべき、いわゆる複数事故においては、そのそれぞれの事故それ自体としては支給原因である稼得能力の喪失又は低下をもたらすものであっても、事故が二以上重なったからといって稼得能力の喪失又は低下の程度が必ずしも事故に比例して増加するとはいえないものであることに照らすと、本件各規定による併給調整の定めが、著しく合理性を欠き、明らかに裁量の逸脱、濫用とみざるをえないような場合でないことは明らかである。

よって、原告の憲法二五条一項違反の主張は失当である。

(六) 同(六)は争う。

亡勇は障害年金七一万三〇〇〇円の支給を現実に受けているのであるから、亡勇が障害年金を受給しえないことを前提とする原告の憲法一四条違反の主張は失当である。

また、本件各規定は、同一の事由に基づいて労災保険法による年金と厚生年金保険法による年金とを併せて支給されるすべての者について同様の併給調整を行うものであって、亡勇のみを不当に差別して減額しているものではないから、原告の憲法一四条違反の主張は失当である。

(七) 同(七)は争う。

4  請求原因4のうち、亡勇が死亡したこと、原告が亡勇の妻であることは認め、その余は争う。

5  原告が本件において主張する事由は、本件処分の違憲、違法事由たりえない。

(一) 亡勇は、昭和三七年一一月九日付長期傷病者補償給付の決定によりその給付を受け、その後昭和五二年四月一日付で傷病補償年金給付の決定を受けて、以来同年金の受給を継続してきたものである。ところで、厚生年金給付との併給調整は、亡勇については右長期傷病者補償給付決定においてはじめて導入され、右傷病補償年金給付の決定においても、亡勇が同時に受給していた障害年金給付との関係で、原告の主張するとおり、調整率を七六パーセントとする併給調整がされている。他方、被告は、昭和五四年八月一日、亡勇に対して本件処分を行ったが、これは、単に、「傷病補償年金の額の改定に用いるべき率に関する昭和五四年労働省告示第六九号」(労災保険法の一部を改正する法律(昭和四〇年法律第一三〇号)附則四一条、同法施行規則の一部を改正する省令(昭和四一年労働省令第二号)附則六項による。)に基づく平均給与額(労働省において作成する毎月勤労統計における全産業の労働者一人当たりの平均給与額――右法律附則四一条)の変動に伴うスライド率の適用によるものであった。すなわち、亡勇に対する傷病補償年金給付額の決定要素のうち、右スライド率を除く他の要素については本件処分によって何ら変更されておらず、それら変更のない部分については、併給調整を含めて、本件処分の対象となっていないのである。

したがって、本件処分は、基本的処分たる傷病補償年金給付決定の存在を前提として、単にその具体的給付額を算定する一要素であるスライド率の適用に伴う変更を加えたにすぎないものであって、右基本的処分に対する付加的処分というべきものである。

(二) ところで、原告は、併給調整の違憲、違法を理由として本件処分の取消を求めている。しかしながら、右(一)のとおり、本件処分は併給調整をその処分内容とするものではないから、原告の主張する事由は、本件処分の違法事由たりうるものではない。また、違法性の承継ということも、本件のような基本的処分と付加的処分との間においては考えられない。

原告において併給調整制度そのものの違憲性を主張するのであれば、原告としては、亡勇との関係で右制度がはじめて導入された昭和三七年一一月九日付長期傷病者補償給付決定を取消訴訟の対象とすべきであるし、原告において併給調整の調整率を七六パーセントとしたことの違憲性を主張するのであれば、原告としては、亡勇との関係で右調整率がはじめて適用された昭和五二年四月一日付傷病補償年金給付決定を取消訴訟の対象とすべきものである。

このように解するのでなければ、付加的処分が行われている限り基本的処分に対する抗告訴訟を提起することが可能となり、出訴期間の制限を定めた行政事件訴訟法の趣旨が没却されることは明らかである。

三  被告の主張(右二5)に対する原告の反論

1  被告は、本件処分において、平均給与額の変動に伴う新たなスライド率を適用して亡勇に支給すべき傷病補償年金の年額を算出し、それをもとにして障害年金との併給の調整を行ったうえで、亡勇に対する昭和五四年八月分以降の傷病補償年金支給額を決定したものである。本件処分は、国が被災労働者に支給すべき傷病補償年金額を決定するという、行政主体と個人との間に具体的な権利義務関係を直ちに創設する行為であり、しかも、その決定の内容として併給調整を含むものであるから、原告の主張する併給調整の違憲性、違法性は本件処分の違憲、違法事由となるものである。

2  原告は、本件処分の根拠となっている法令に違憲の瑕疵があると主張して本件処分の取消を求めているのであり、右法令に基づいてなされた最初の処分について争訟を提起しなかったからといって、当該法令が適法であることに確定されるわけではないから、本件処分のように当該法令に基づいて後にされた処分についても、当該法令の違憲性を理由としてその効力を争うことができることは当然である。

3  原告は、たしかに併給調整制度そのものを問題にしているのであるが、原告としては、本来受給権者に対して全額支給されてしかるべき障害年金の給付が、七六パーセントという調整率の適用の結果、金額の組み合わせ如何によっては全額について不支給と同一になる状態を生じうる本件各規定を問題にしているのであり、そのような全額不支給と同一の状態を違憲であると主張しているのである。すなわち、処分の違憲性の有無は、傷病補償年金額と障害年金額との組み合わせ如何という流動的な要素を含んでいるものであるから、法改正後の最初の処分のみが問題となりうるわけではない。

(昭和五七年【行ウ】第四号事件)

一  請求原因

1  昭和五六年【行ウ】第七号事件の請求原因1ないし3のとおり(ただし、「被告」とあるのを「滝川労働基準監督署長」と、「国」とあるのを「被告」とそれぞれ読み替える。)。

2  (一) 亡勇は、昭和五二年四月一日以降傷病補償年金の支給を受ける権利を有していたものである。

(二) 昭和五四年八月一日以降亡勇が死亡した昭和五五年五月一七日までの同年金の年額は四二一万二〇三九円であった。亡勇は、本来右金額の支給を受けられるべきところ、本件処分により、障害年金の年額に相当する額を傷病補償年金の額から控除されたため、同年金の額は三四九万九〇三九円に減額して支給された。

(三) しかしながら、本件処分は前記のとおり無効なものであるから、被告は、亡勇に対し、本件処分により減額される前の傷病補償年金全額を支払うべき義務を負うものである。

そして、本件処分時から亡勇が死亡した昭和五五年五月一七日までの期間に、本件処分によって減額されたため亡勇に支給されなかった金額は、合計六〇万三二八六円となるから、被告は、亡勇に対し、右金額の支払義務を負っている。

3  亡勇は昭和五五年五月一七日死亡した。原告は、亡勇の妻であって、亡勇が被告に対して有する六〇万三二八六円の給付請求権を相続により取得した。

4  よって、原告は、被告に対し、二〇万一〇九五円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の本案前の主張

1  労災保険法によれば、労働者災害補償保険は政府がこれを管掌し(同法二条)、保険給付等の事務は事業所所在地を管轄する労働基準監督署長が掌るものである(同法施行規則二条)。また、傷病補償年金については、所轄労働基準監督署長が当該労働者から届書の提出を受けてその支給決定を行うのであり(同法施行規則一八条の二)、この決定に不服がある場合には、労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をし、さらに、その決定に不服がある場合には、労働保険審査会に対して再審査請求をすることができる(同法三五条)。そして、その裁決に不服がある場合にはじめて原処分の取消を求める訴えを提起することができる(同法三七条)。

2  これら労災保険法の規定に照らすと、傷病補償年金については、労働基準監督署長、労働者災害補償保険審査官等の行政機関の給付決定があってはじめてその具体的な給付請求権が発生するものであって、この給付決定に不服がある場合には、その取消を求める訴えを提起する方法によるべきものである。

しかるに、右の法律上の手続によることなく、給付決定の違法無効を理由として、直ちに国を被告として傷病補償年金の給付を求める訴えを提起することは、具体的な給付請求権が発生していないにもかかわらずその履行を求めようとする点において容認し難いものであるとともに、裁判所をして、行政機関に代わって給付金額を決定させようとするもので、その結果三権分立の原則に反して不当に行政権の行使に介入させることになるから、現行法制上許されない。

よって、原告の本件請求は不適法なものである。

三  被告の本案前の主張に対する原告の反論

1  労災保険法によって所定の者に与えられる傷病補償年金の受給権は、同法の規定する要件が具備されることによって当然に発生する権利であって、行政機関の給付決定があってはじめて発生するものではない。すなわち、

(一) 労災保険法は、七条及び一二条の八第一項で業務災害に関する保険給付のひとつとして傷病補償年金給付を行うことを定め、同条三項で傷病補償年金を支給する場合の要件を定め、かつ、一八条で給付額の算定の基礎及び方法を一義的に定めている。そして、右支給要件を定めた一二条の八第三項は、「傷病補償年金は、(中略)当該労働者に対して支給する。」と定めていて、その支給につき行政処分を要する旨の規定は、同項にも、他の条項にも存しない。のみならず、同法施行規則一八条の二第一項によれば、所轄労働基準監督署長は、当該労働者が同法一二条の八第三項の定める要件に該当するときは、「傷病補償年金の支給の決定をしなければならない」ものとされている。

これらの規定から明らかなとおり、労災保険法は、その適用対象とする労働者につき一定の要件が満たされたときは当然に一定の保険給付をすべきことを定めたものであり、そこでは、受給権に関する要件と効果は法律上一義的に定まっていて、行政機関が裁量を働かせる余地は認められていない。したがって、労働者としては、法定の要件さえ具備すれば同法上当然に傷病補償年金の給付を受ける具体的な権利を取得するものと解するのが相当である。

しかも、傷病補償年金の受給権は、当該労働者の保険料拠出に対する反対給付としての性質を備えているものであるから、その権利性は強いというべきである。

(二) 労災保険法は、憲法二五条に基づき、国民に実定法上の一定の権利を与えるものとして制定されたものである。行政府が法律の執行をその任務としている以上、労災保険法二条において労働者災害補償保険は政府がこれを管掌すると定めているのは、むしろ当然の事理を確認したにすぎず、この規定をもって行政機関の給付決定があってはじめて給付請求権が発生することの根拠とすることはできない。

(三) 当該請求権或いは受給権が、法定の要件を充足することにより当然に発生する権利であるのか、或いは、行政処分があってはじめて発生する権利であるのかの判断は、当該処分に対する不服申立手続の定め方如何に関係するものではない。労災保険法は裁決前置主義を採っているが、一般に法律上裁決前置主義が採られているのは、専門機関或いは第三者機関の判断を先行させ、これを利用することによって裁判所の事実認定に関する負担を軽減し、ひいては迅速、確実な司法救済を実現することを目的としているなど、国民の権利救済に資すると判断される場合なのであって、裁決前置主義を採っていることは、法律上の給付請求権が具体的な権利ではないとする根拠となるものではない。

2  本件訴えは三権分立の原則に反しない。

裁判所が行政処分に代わる給付判決をすることができるかどうかについては、当該争訟が「法律上の争訟」であって、裁判所が法律的価値判断の作用として給付義務を確定しうるだけの要件と効果が実定法上定められているか否かにかかっている。すなわち、実定法上国民が行政庁に対して特定の行政処分をすべきことを請求する権利が認められる場合においては、裁判所は、司法権の作用として、当該請求権が存在することを確定したうえ、当該行政庁に対して当該行政処分をすべきことを確定することができる。このことは、私法上の請求権の場合と本質的に変わるところがないというべきである。右のような司法作用の結果として行政権の行使に抑制を加えることがあっても、それは三権分立主義に反するものではない。

四  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1に対する認否及び主張は、昭和五六年【行ウ】第七号事件における被告滝川労働基準監督署長の「請求原因に対する認否及び被告の主張」1ないし3と同様である。

2  請求原因2のうち、(一)の事実は認め、(二)、(三)は争う。

3  請求原因3のうち、亡勇が死亡したこと、原告が亡勇の妻であることは認め、その余は争う。

第三証拠〈省略〉

理由

(昭和五六年【行ウ】第七号事件について)

一  請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

二  憲法二九条違反の主張について

憲法二九条一項により保障される財産権には公法上の権利も含まれ、したがって、労災保険法或いは厚生年金保険法上の保険給付請求権が憲法二九条一項によって保障されることは明らかである。ところで、原告は、本件各規定で定められている併給調整により、傷病補償年金についていえば減額の措置が採られ、また、障害年金についていえば全額不支給の措置が採られたこと、とくに後者については、被保険者において一定の保険料の支払義務を負っていることを理由として、右併給調整は不当な財産権の侵害に当たるものと主張する。そこで、右の点について判断する。

1  労災保険法及び同法施行規則によれば、労働者災害補償保険は、政府がこれを管掌する(同法二条)ものとされ、その保険事務は一般的には労働基準局長がこれを行い、そのうち保険給付等の事務については事業場所在地を管轄する労働基準監督署長が行う(同規則一条、二条)ものとされている。そして、同法による業務災害に関する保険給付のひとつである傷病補償年金(同法一二条の八第一項六号)は、業務上負傷し、又は疾病にかかった労働者について、当該負傷又は疾病に係る療養の開始後一年六か月を経過した日又は同日後において、当該負傷又は疾病が治っておらず、かつ、当該負傷又は疾病による廃疾の程度が労働省令で定める廃疾等級に該当することを要件として、右の状態が継続している間当該労働者に対して支給されるものであり(同条三項)、その支給の手続としては、所轄労働基準監督署長が当該労働者から届書の提出を受けて職権でその支給決定を行う(同規則一八条の二)ものとされている。その支給額は、右廃疾等級に応じて定まる(同法一八条一項)が、労働者の平均給与額が変動した場合における支給額の改定の定め(昭和四〇年法律第一三〇号による労災保険法改正附則四一条)のほか、労働者が故意に負傷、疾病の直後の原因となった事故を生じさせたときは、政府は保険給付を行わない(同法一二条の二第一項)ものとされ、労働者が故意の犯罪行為若しくは重大な過失により、又は正当な理由がなくて療養に関する指示に従わないことにより、負傷、疾病又はその原因となった事故を生じさせるなどしたときは、政府は保険給付の全部又は一部を行わないことができる(同条二項)といった給付制限も定められている。したがって、届書の提出を受けた労働基準監督署長としては、支給要件の存否、該当する廃疾等級、給付制限の存否等につき認定、判断をしたうえで、支給額等の具体的な内容を定めて右の支給決定をすることになるのである。さらに、労働基準監督署長の保険給付に関する決定に不服がある場合には、労働者災害補償保険審査官に対して審査請求を行い、その決定に不服がある場合には、労働保険審査会に対して再審査請求を行うことができる(同法三五条一項)とともに、労働基準監督署長の保険給付に関する決定の取消の訴えは、再審査請求に対する労働保険審査会の裁決を経た後でなければ提起することができない(同法三七条)こととされている。これら労災保険法及び同法施行規則の規定に照らすと、傷病補償年金については、同法所定の手続により労働基準監督署長が支給決定をすることによって給付の内容が具体的に定まり、受給権者である労働者は、この支給決定によってはじめて国に対する具体的な給付請求権を取得するのであって、右決定前においては、具体的な給付請求権を有しないものと解するのが相当である(最高裁昭和二九年一一月二六日第二小法廷判決・民集八巻一一号二〇七五頁参照)。

そうすると、本件各規定は、労働者である受給権者がいったんは有していた保険給付請求権を、併給調整によって剥奪或いは制限する趣旨のものではなく、労働者は、当初から本件各規定により併給調整された後の内容の保険給付請求権を取得するにすぎないものと解することができる。

したがって、本件各規定の定める併給調整により、傷病補償年金の支給金額が併給調整のない場合に比較して減額されることがあっても、そのことは何ら当該併給調整を受けた労働者の財産権を侵害するものではないと解するのが相当である。

2  次に、障害年金についてみると、本件各規定の定める併給調整は、障害年金の額については、何らの減額をも生じさせるものではないから、障害年金の不支給を前提とする原告の主張は、その余の点を判断するまでもなく理由がないというべきである。

以上のとおりであるから、原告の憲法二九条違反の主張は失当である。

三  憲法二五条違反の主張について

憲法二五条一項の規定は、いわゆる福祉国家の理念に基づいて、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきことを国の責務として宣言したものであり、同条二項の規定も、同じく福祉国家の理念に基づいて、社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言したものであるところ、同条一項は、国が個々の国民に対して具体的・現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、同条二項によって国の責務であるとされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的・現実的な生活権が設定充実されてゆくものであると解するのが相当である。

このように、憲法二五条の規定は、国権の作用に対し、一定の目的を設定しその実現のための積極的な発動を期待する性質のものであり、右規定にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、極めて抽象的・相対的な概念であって、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、右規定を現実の立法として具体化するにあたっては、国の財政事情を無視することができず、また、他方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。したがって、憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講じるかの選択決定は、立法府の広い裁量に委ねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用とみざるをえないような場合を除いては、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるというべきである(最高裁昭和五七年七月七日大法廷判決・民集三六巻七号一二三五頁)。

そこで、併給調整を定める本件各規定が憲法二五条に違反するか否かについて検討する。

1  本件各規定は、同一の事由(当該負傷又は疾病により廃疾の状態にあること)により傷病補償年金と障害年金とが支給される場合において、その間の調整を定めたものである。ところで、このように二以上の年金支給の事由が同一である場合には、各年金の被保険者である労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかったことにより各年金の受給要件をともに満たすに至ったからといって、右負傷又は疾病による当該労働者の稼得能力の喪失又は低下の程度は、いずれかひとつの年金についてのみ受給要件を満たすにすぎない場合と何ら変わりがないのであるから、公的年金制度全体の公平、均衡という観点からみた場合、受給要件を満たすに至った二以上の年金は必ずこれらを併給すべきものであるということはできず、支給される各年金が、その性格、機能を同一ないし一定範囲において共通にする場合には、一定額の併給調整を行うことも立法裁量として許されると解するのが相当である。

2  そこで、傷病補償年金及び障害年金の各給付の性質について検討する。

(一)  労災保険法制定の経緯や労災保険法と労働基準法との関係等に照らせば、労災保険法による保険給付は、労働基準法所定の災害補償と同質のもので、ただ、労働基準法においては使用者の負担とされている災害補償義務を、労災保険法においては政府が保険給付の形式で行うというにすぎないものであることが認められるから、右保険給付の本来の性質として、労働災害による負傷、疾病や障害のため喪失又は低下した受給権者の稼得能力を保険給付によって填補するもの、すなわち、受給権者に対する損害の填補の性質を有するものであることは明らかである(最高裁昭和五二年一〇月二五日第三小法廷判決・民集三一巻六号八三六頁参照)。したがって、右保険給付のひとつである傷病補償年金についても、その基本的な性質が損害の填補にあることは明らかである。

ところで、業務上の負傷又は疾病により障害を有するに至った者及び長期の傷病者に対する補償に関しての労災保険法の規定の改正経過をみると、次のとおりである。

昭和三五年法律第二九号による改正前においては、労働基準法所定の障害補償及び打切補償に対応するものとして、障害補償費及び打切補償費が定められていた(いずれも一時金であった。)が、右改正法により打切補償費は廃止され、障害補償費の一部及び長期の傷病者に対する補償として長期傷病者補償の制度が設けられた。この長期傷病者補償において、労災保険法上初めて年金給付が取り入れられることとなった(なお、本件各規定による併給調整の制度も右改正法に端を発するものである。)。その後昭和四〇年法律第一三〇号による改正法においては、障害補償給付として障害の程度に応じて大幅に年金給付が取り入れられ、また、療養開始後三年を経過しても治癒しない場合には、政府が必要と認めることを要件として、年金給付である長期傷病補償給付の制度が設けられた(その他、遺族補償についても右改正法において年金給付が取り入れられた。)。次いで、昭和五一年法律第三二号による改正(本件改正)において長期傷病補償給付が廃止され、新たに傷病補償年金の制度が設けられた。これによって、療養開始後一年六か月を経過した日又は同日後において負傷又は疾病が治癒しておらず、かつ、当該負傷又は疾病による廃疾の程度が労働省令で定める廃疾等級に該当していることを要件として、その状態が継続している間傷病補償年金が支給されることになり、また、その額は傷病による廃疾の程度に応じて定められることとされた。

以上のような労災保険法の改正経過によれば、労災保険法による保険給付、とりわけ傷病補償年金(及びその前身というべき長期傷病補償給付)については、昭和四〇年法律第一三〇号による改正を契機として、労働基準法所定の一時金である打切補償等からは切り離された形での年金給付としての性格を強めてきていることを指摘することができる。そして、そのような年金給付化とそれに伴う労働基準法上の使用者の災害補償義務からの独立化によって、労災保険法による保険給付が、基本的には、前述したように、労働基準法上の使用者の災害補償義務を政府が保険給付の形式で行うもの、すなわち、損害の填補としての性質を維持しながらも、一面において、受給権者に対する所得保障ないし生活保障という機能をも有するに至ったことは疑う余地のないところである。

(二)  他方、障害年金の性質についてみると、厚生年金保険法は民間労働者の老齢、障害等について保険給付を行い、労働者等の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的としている(同法一条参照)もので、その基本的な性質が受給権者の所得保障ないし生活保障にあることは明らかである。しかしながら、同法四〇条によれば、事故が第三者の行為によって生じた場合において、政府が保険給付をしたときは、受給権者の第三者に対する損害賠償請求権はその給付の価額の限度で当然国に移転し、また、受給権者が先に第三者から損害賠償を受けたときは、政府はその価額の限度で保険給付をしないことができるとされており、これらによれば、受給権者に対する第三者の損害賠償義務と政府の同法上の保険給付の義務とは相互補完の関係にあるものということができる。したがって、厚生年金保険法による保険給付は、障害年金も含め、一面において受給権者に対する損害の填補としての性質を有するものと解するのが相当である(最高裁昭和五二年五月二七日第三小法廷判決・民集三一巻三号四二七頁、前掲最高裁昭和五二年一〇月二五日判決参照)。

(三)  以上に述べたところによれば、傷病補償年金は基本的に損害の填補の性質を有するものであり、障害年金は基本的に所得保障ないし生活保障の性質を有するものであって、その基本的な性質こそ異にしているものの、前者は一面において所得保障ないし生活保障の機能を有するに至ったものであり、他方後者も損害の填補としての性質を有するものであるから、両者は一定範囲においては共通の性質、機能を有しているものということができる。

3  さらに、本件各規定において傷病補償年金と障害年金との併合調整における調整率を七六パーセントと定めた根拠についてみると、弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

本件改正前における併給調整の方式は、長期傷病補償給付の給付金額から障害年金の五〇パーセント相当額を控除した残額を長期傷病補償給付として支給するというものであった。しかし、本件改正において年金給付化を発展させたこと等に伴い、さらに給与体系等からみた全体的な公平の見地から、本件改正で新設された傷病補償年金と障害年金との調整方式を再検討することとなった。そこで、基本的には両年金が併給されるすべての事案につき、昭和五一年二月期払のデータをもとに本件改正前の調整方式をあてはめて算出したところ、支給率の下限値は〇・六七であった。さらに、新たな調整方式による調整後の傷病補償年金と障害年金との受給総額が、本件改正前の調整方式による調整後の長期傷病補償給付と障害年金との受給総額を上回る受給者の構成比率が、併給受給者全体の過半数を超えること(すなわち、新たな調整方式による方が有利になる受給者が過半数を起えること)を要件としたところ、そのために必要とされる調整率は〇・七五程度であった。これらを考慮した結果、本件各規定における調整率は傷病補償年金の七六パーセントと定められた。もっとも、調整後の傷病補償年金の額と障害年金の額との合計額が、右調整前の傷病補償年金の額に達しない場合には、右調整前の傷病補償年金の額に達するまで傷病補償年金の額が増額されることになっている。

4  右1のとおり傷病補償年金と障害年金の双方の受給要件をともに満たすに至ったからといって当該労働者の稼得能力の喪失ないし低下の程度には何ら変わりがないこと、右2のとおり傷病補償年金と障害年金とは一定範囲において共通の性質、機能を有するものであることの諸点に加えて、労災保険法の費用は、業義災害に関する限り、事業主のみが負担する保険料と国庫補助金によって賄われており、他方、厚生年金保険法の費用は、被保険者である労働者と事業主が負担する保険料と国庫負担金とによって賄われていることに照らすと、両年金の完全な併給を認めることは、同一の災害につき事業主に二重の負担を強いる結果ともなること、併給調整を行った結果余裕の生じた資金を他の労働者に回すことにより、社会保障制度全体における公平な運用に資するという側面もあることなどにもかんがみると、立法府において両年金間の併給調整を認める立法をしたことは、その与えられている裁量の範囲内の事柄であるというべきであり、また、右3の事実によれば、本件各規定に定める併給調整の程度も、著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用に当たるとは認め難い。

5  なお、原告は、本件各規定による併給調整は障害年金につき一旦法的に発生した受給権を制限ないし剥奪するものであり、右制限ないし剥奪を必要とする合理的理由は存しないとして、本件各規定は憲法二五条に違反する旨主張するけれども、本件各規定の定める併給調整は、障害年金の額については何らこれを制限ないし剥奪するものではないから、原告の右主張はその前提を欠くもので理由がないというべきである。

よって、原告の憲法二五条違反の主張は失当である。

四  憲法一四条違反の主張について

憲法一四条一項による平等の原則は、立法者をも拘束するものであって、国会において制定された法律がその内容において平等の原則に反するときは、当該法律は同項に違反するものというべきである。しかしながら、同項は、何ら合理的理由のない不当な差別的取扱を禁止する趣旨の規定であって、一定の差別的取扱が合理的理由に基づくものと認められる場合は、同項の定める平等の原則に抵触しないものと解するのが相当である。

原告は、本件処分は、同じく障害年金を受給しうる地位にある労働者間において、実質的にこれを受給しうる者と受給しえない者との区別を生み出し、前者に比べて後者を不当に差別するものであると主張する。しかしながら、本件各規定及びこれに基づく本件処分における併給調整は、障害年金の受給額について何らの減額をも生じさせるものではないから、原告の主張は、その前提となる事実を欠くものとして失当であるというべきである。もっとも、併給調整を定めた本件各規定は、傷病補償年金の受給額につき減額をきたすものであるから、この点において、障害年金の受給資格を有する者とこれを有しない者との間で、傷病補償年金の受給額に関して差別を生じることになり、憲法一四条違反の問題を生じる余地がある。そこで、この点につき検討する。

本件各規定の定める併給調整が、憲法二五条との関係において立法裁量を逸脱したものとはいえず、同条に違反するものでないことは、既に説示したとおりである。そして、少なくとも本件のように同一の事由に基づいて二以上の年金が支給される場合においては、個々の年金の受給額にのみ限定して年金受給者間の平等を考えるのではなく、むしろ、公的年金制度全体にわたっての年金受給者間における実質的な平等を考える必要があるというべきであること、そのような見地からみた場合、本件各規定の定める併給調整により障害年金の受給資格を有する者が支給を受ける金額は、最低の場合でも、障害年金の受給資格を有しない者が支給を受ける傷病補償年金の額を下回ることはないものとされていること、右両年金の受給資格を有する労働者の稼得能力の喪失又は低下の程度は、傷病補償年金についてのみ受給要件を満たすにすぎない場合と何ら変わりがないこと、したがって、右両年金が完全に併給されることとなると、かえって、公的年金全体の見地からみて不均衡を生じることにもなることなどの諸点を考慮すると、本件各規定の定める併給調整によって障害年金の受給資格を有する者とこれを有しない者との間に生じる傷病補償年金の受給額に関する差別は、合理的な理由に基づくものというべきである。

よって、原告の憲法一四条違反の主張は失当である。

五  以上によれば、原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないこととなる。

(昭和五七年【行ウ】第四号事件について)

一  被告の本案前の主張について判断する。

1  昭和五六年【行ウ】第七号事件の説示中(二1)において述べたとおり、傷病補償年金については、労災保険法所定の手続により労働基準監督署長が支給決定をすることによって給付の内容が具体的に定まり、受給権者である労働者は、この支給決定によってはじめて被告に対する具体的な給付請求権を取得するのであって、右決定前においては、具体的な給付請求権を有しないものと解するのが相当である。

そして、労働基準監督署長のした決定に不服がある場合には、これに対する審査請求、再審査請求、さらには裁判所に対する取消の訴えという労災保険法所定の不服申立手続によるべきであって、右所定の手続によらずに直接裁判所に対して、労働基準監督署長の支給決定を経由することなく一定内容の支給決定が労働基準監督署長によってされたのと同様の効果を生じさせることを目的とする訴えを提起することは、行政庁の第一次判断権を侵害するものであるから、そのような救済をとくに必要とする例外的な場合を除いては許されないというべきである。

2  ところで、本件において原告は、亡勇に対する傷病補償年金額が年額四二一万二〇三九円であることを前提として、年額三四九万九〇三九円の割合による支給額との差額の支払を被告に請求しているのであるが、原告の右主張にそう内容の支給決定が労働基準監督署長によってされたことの主張も、これを認めるに足りる証拠もなく、かえって、成立に争いのない乙第三号証及び弁論の全趣旨によれば、滝川労働基準監督署長によって年額三四九万九〇三九円の支給決定がされたことが明らかである。すなわち、原告の本件訴えは、労働基準監督署長の支給決定を経由することなく被告に対して傷病補償年金の給付金の支払を求めるものである。そして、原告において所定の不服申立手続によっていたのでは回復し難い損害を被るなどとくに行政庁の第一次判断権を侵害してまで緊急の救済を必要とする特別の事情も認められないから、本件訴えは不適法なものといわざるをえない。(なお、本件訴えのように、権利主体を被告とする給付請求を内容とする訴えにおいて、当該請求の要件となるべき一定の行政処分がないことは、請求を理由あらしめるべき事実の主張、立証がないというにすぎないのであって、それによって訴え自体が不適法になるものではないとする考えも成り立つけれども、右のような訴えは、行政庁の第一次判断権を実質的に侵害、剥奪する結果を招くもので、権力分立の原則に違反するものというべきであるから、右に述べたように、特別の事情がない限り不適法なものと解するのが相当である。)

(結論)

以上に述べたとおり、昭和五六年【行ウ】第七号事件における原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、昭和五七年【行ウ】第四号事件における原告の訴えは不適法であるからこれを却下することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 根本眞 山田和則 石井寛明)

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